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執筆者の写真米澤

8月9日 長崎原爆

本日8月9日は


広島の8月6日に続き


長崎原子爆弾が1945年に投下された日ですね。



今から75年前の午前11時2分の出来事です・・・



私達は平和な時代に生まれ


何の不自由もなく豊かな日本で生まれ育っているので


実感がなかなか持てない世代ではあるのですが


75年前というと


そんなに遠い時代ではない気もします。



当時長崎市の人口は約24万人。


それが一瞬にして


約2万人が死亡。


その年の間にはそれから5万人の方が


命を落としております。


そして7万人は重傷。


市民の約半数が一瞬にして


亡くなるか、重傷者とは本当に惨く考えづらいものです。



ただ、


そうは言われても


あまりに悲惨で


やはりまだどこか実感がわかない自分がいたので


大変つらい気持ちには


なりますが


被災直後の写真や資料を


改めて見ることにしました。


そこには


焼け野原になった街と、


亡くなった方々が倒れている写真が多く鮮明に残っていました。



中でも


胸が苦しくなったのは


赤ちゃんと母親の写真です。


被災して


顔が焼けただれながらも


一生懸命に母の乳を吸う赤ちゃんに本当に


悲痛な気持ちになります。


今、私の子供が幼いこともありどうしても


子供たちの写真に目が行ってしまうこともあったとは思いますが。


他にも


亡くなった赤ちゃんを


一生懸命に背負っているお兄ちゃんやお姉ちゃんたちの写真も


ありました。



「子供や家族がこんな状態になったらどうなってしまうのか・・・」


と思うと同時に


これは実際に起きた話なんだと


ほんのほんの少しですが実感しました。



そして


75年たった今


当時草木も生えることはない街と言われた


長崎は緑豊かな、活気あふれる街に戻っています。


ということは、残された大人も子供も


逞しく、希望を捨てずに踏ん張り続けてこられたわけですよね。


本当に凄いです。・・・


そして、


当時を経験していない私たちも


少しでも勉強して


次の世代に伝えることも役目なのかなとも思います。





今、コロナウイルスで


苦しい時期ですが


絶対に希望は捨てずに子供たちのためにも


純粋に踏ん張っていきたいものですね。







頑張っていきましょう!






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